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外務省は12月20日、平成4(1992)年の外交文書(計17冊、6518ページ)を公開した。天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)の同年10月のご訪中の実現に向け、報道の影響を懸念した外務省が、水面下で展開していたマスコミ工作の実態が明らかになった。当時の駐中国大使が共同通信社の報道を問題視し、同社社長に「社として、天皇訪中に反対なのか賛成なのか」と直接詰め寄った場面の記録もあった。
外務省は大多数の国民が賛同する中での両陛下のご訪中を目指し、自民党役員らへの根回しを含む党・国会対策とともに、マスコミ対策を重視した。
当時の小和田恒事務次官は2月13日の幹部会議で「訪中前に国内プレスの報道が否定的な状況になれば、行けなくなることもあり得るので、報道対策を事前にしっかりと考えておくべき」と発言。小和田氏が翌14日、加藤紘一官房長官に説明を行った際の資料は「本件は国内的にデリケートな問題(右翼と左翼の動きも要注意)」「(閣議決定、対外発表までは)賛否両論が国会、新聞等で大々的にたたかわされることを避ける必要あり」と記した。
それ以降の文書には、外務省幹部が直接的、間接的にマスコミ関係者に働きかけた記録があった。
2月25日午後には、当時の谷野作太郎アジア局長が、中曽根康弘元首相を訪ね、「御訪中問題」を説明。このとき谷野氏は「新聞については産経でも賛否両論を載せており、他の新聞についても大丈夫と考える」との認識を示しつつ、「読売あたりでもう少し声を出してくれるとありがたいのだが。渡辺(恒雄)社長に働きかけて頂けないか」と要請した。中曽根氏は「今晩会うので話しておこう」と応じた。
谷野氏は5月24日にはNHKの小浜維人解説委員長に対し、「NHKにおいても是非本件(ご訪中)の積極的意義を認識し、実現の方向で風を起こして貰えまいかと要請」した。
記録によると小浜氏は25日、谷野氏に電話で、同日午前に面会した福田赳夫元首相とのやりとりを報告。福田氏が「陛下の御訪中を強行すれば、国論が沸騰するのは明らかで、そのような中での御訪中は良くない」「いずれにせよ触らぬ神に祟りなしだ」と述べたとし、「NHKもそのように対応したらよいというのが福田元総理の意見であった」と伝えた。
6月には当時の橋本恕駐中国大使が「自民党およびマスコミに対する工作」を目的に一時帰国した。
橋本氏は6月26日、共同通信社の犬養康彦社長と面会。橋本氏は同社北京支局の記事を挙げて「意図的に天皇訪中をぶち壊そうとしているとしか考えられない。北京の他の各紙もそう言っている」と話し、「中国の党も政府も全く問題にしていない対日民間賠償、従軍慰安婦の問題などを、これでもか、これでもかと針小棒大にアラーミングに書きたてている。共同通信の社長としてどう考えるのか?」と迫った。
橋本氏はさらに「天皇訪中をぶち壊すためプレス・キャンペーンを続けるつもりなら、中国側は支局閉鎖とか、特派員の国外退去とかの措置に出ると思う。その際、大使館としては助けることはできないと覚悟してほしい」と伝えた。
こうした〝脅し文句〟が効いたのか、記録によると、犬養氏は「北京支局があのような記事を書くなら、それと並べて、中国の党・政府の考え方や中国の大多数の人々の考えを正確に記事にしてバランスをとるべきだと思う」と述べ、「いずれにしても、橋本大使に大変ご迷惑をかけて申し訳ない」と陳謝した。 犬養氏はその上で「北京支局には、共同通信本社は天皇訪中に賛成である旨十分徹底させ、ご迷惑をかけることが今後はないよう注意する」と述べ、「今後、もし何か、ご迷惑をかけるようなことがあれば、どうかご遠慮なく、社長である私に直接電話でご注意願いたい」と橋本氏に伝えた。
一方、谷野氏は7月3日、産経新聞社を訪れ、清原武彦編集局長に天皇陛下ご訪中に関する外務省の考え方を説明した。
そのときの記録によると、清原氏は「中国の陛下に対する執拗(しつよう)な招請は、政治的な意図があるからだ。天安門事件で、中国は国際的に孤立したが、日本の天皇が訪中されれば中国にとっては大きな救いの手となる。中国は陛下のご訪問を契機に日本からさらに多くの経済協力を引き出そうとしている」と指摘した。
さらに清原氏は「中国の国内では保守派と改革派が対立しているが、改革派は天皇ご訪中を自派の勢力固めに利用するだろう。これらの政治的狙いが中国側にある以上、陛下がご訪問されれば、政治的に中国側を助ける訪問となってしまう」と主張した。